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拘りは変えられない

これといって理由はないが、里帰りの際にはANAを選ぶ。
JALは選ばない。
某アイドルが出演するCMを見ても、私の心は動かない。
何となくANAなのだ。
いや、これには理由があるか。
紙切れ同然となった株式。
あの時の衝撃が強過ぎて、未だに利用する気にもならない。
確かマイレージも無効になったと記憶しているが。
 
一方、洗剤やシャンプー等の日用品は明確な理由があってCMには左右されない。
長年の生活でお気に入りは決まっている。
価格も考慮するけど、それ以上に拘るものがある。
洗剤なら〇〇、台所用洗剤なら〇〇、シャンプー類は〇〇。
例え好きなタレントがイメージキャラクターを務めていても、私の心は動かない。
 
そんな私でもタレントに左右される商品はある。
例えば、お菓子。
売り上げに貢献しようか?と本気で思う。
けれど、日用品となれば話は別。
CMを見るのは楽しいけど、拘りを捨ててまで切り替える意思はない。
そういうものだと思うが、違うのだろうか。
あっさりCMタレントに左右される人の方が多数派なんだろうか。
 

一時「自分の名前」で検索をかけることが流行った時期がある。
私のように平凡な人間の場合、せいぜい同姓同名の誰かが引っ掛かる程度なのだが、中には「本人情報」そのものが検出された人もいて、ちょっとした話題になったのだ。
きっと職業柄web等で本名を公開せざるを得ない人だったのだろう。
当時はまだFacebookが存在せず、mixiもまた立ち上がっていなかった。
匿名であることに油断をし、それこそオフラインでは言えないことも平気で話していた時代でもあった。
月日は流れ、多くの人がSNS上で繋がっている。
特にFacebookは「実名登録」が原則故、それこそ「隣に住む誰か」の名前が検出される可能性は高い。
個人情報を克明に書き込めば書き込むほど「本人」であることを特定する手がかりが増えていく訳だ。
かくいう私もFacebookアカウントは所持しているが、プロフィール欄は殆ど空欄。
せいぜい出身校を記載している程度。
そのせいもあって、誰からも友達申請されたことはないし、今後もされる可能性は低い。
ありふれた名前であることも幸いしており、試しにGoogle等で検索した所で検出されるのは同姓同名の見知らぬ誰かだ。
一方で、迂闊に本名を公開してしまうとあっという間に個人が特定出来る人もいる。
その多くが苗字に特徴がある人で、私の知人にも該当する人が二人いる。
うち一人は自身の苗字が極めて珍しいことを熟知しており、不用意に本名を晒すことは決してなかった。
それがFacebookであったとしても、一見本名に見えるハンドルで登録を行うだろう。
けれど、そこまで危機意識が強くないもう一人の知人は、躊躇うことなく実名にて登録をしていることだろう。
試しに検索した衝動に駆られることはあるが、本当に検出されそうで自制している。
二度と関わりたくない、というのが本音でもあるので。

興味はあれど購入を躊躇う

購入を躊躇っている書物がある。
色彩心理に基づき、日常生活に色を取り入れることを提案する内容だ。
以前にもその人の著書を読んだことがあり、納得出来る部分と首を傾げる部分があったことを記憶している。
納得している部分というのは加齢によって似合う色も変化してくる点。
納得していない部分は黒や茶、グレーの存在を必要以上に否定している点。
確かにこれらの色が似合う人は少ない。
特に黒は着る人を選ぶし、決して無難な色ではないことは百も承知。
では何故、女性用の靴に黒が多いのか。
何だかんだいっても黒い靴は洋服を選ばないからだ。
例え真っ赤なスカート(!)を着用しても、靴と鞄が黒であればそれなりに落ち着く。
白であっても、濃紺であっても、黒の靴ならすんなり馴染む。
だからこそ、最初の一足は黒を選ぶべきだろう。
次に購入すべきは焦げ茶色。
最低限この2色があればどうにかなるし、それ以外の色となると合わせる洋服も限られてくる。
購入資金が潤沢にあるならまだしも、決してそうでない人にとって靴や鞄に黒(若しくは焦げ茶)を取り入れるのは当然のことだ。
…とここまで書いて気付いたのだが、どうやら私は断定的なモノの言い方をする人が基本的に苦手らしい。
事実、購入を迷っている書物にもそういう記述が多々見られる。
それは経験に基づく理論だろうが、「ちょっと待てよ」と突っ込みを入れたくなる部分が幾つかあり、わざわざ買う必要はないかも…と思い始めたのだ。
それ故、未だ悩んでいる。
 

回覧板の謎

隣家の門柱に置かれた回覧板を見かけたのは先月末のこと。
遅くとも明日の朝には回ってくるな…と内心思っていたが、何の手違いなのか、一向に回ってこない。
最初の三日間は「もしかして忘れているのかしら」と不安に感じたが、流石に四日を過ぎると「これは意図的に抜かしているな」と勘繰るようになる。
直接隣家に確認出来れば一番だが、具体的な日時を把握している訳でもなく、それこそ「気のせいでしょう」と言われた日には返す言葉がないのが現状。
それ故もやもやした気持ちを抱えたまま、「所詮、隣人なんてその程度の人」と自身に言い聞かすことでどうにか処理することが出来た。
ところが、事態は意外な展開を見せる。
その日は夕方に通り雨があり、我が家の玄関にも少し濡れた跡があった。
いつも通りに帰宅した私を待っていたのは明らかに湿った状態の回覧板。
置き場所が悪かったか、すっかり濡れてしまったのだ。
勿論、隣人に悪気がなかったことは容易に見当がつく。
とはいえ、一週間の間放置されたこともあって、正直気分が悪い。
内心「大丈夫かしら?」と思ったものの、これ以上は関わらない方が身のためかな?と本気で思った出来事である。

ミュート機能を利用する。

軽い気持ちでフォローした人がいる。
絡む気はさらさらなくて、ただ興味のある投稿があったりするので。
要するに、ROM。
でも、日常的な呟きは正直うざい。
そんなこと、案外ありますよね。
 
で、これまで気付かなかった機能を利用してみた。
そう、ミュート機能。
タイムラインには表示されない。
でも、自らの意思で呟きはチェック出来る。
私のような人間には有り難い機能だ。
こうすることでリアルタイムに確認したいものが埋もれることもない。
あくまで情報収集ツールとして使いたい訳だし。
 
 
フェイスブックにも有りますかね、こういう機能?
今更聞けずに悩んだりする。

しめじで遊ぶ

フリック入力にもすっかり慣れ、今ではローマ字入力に拘っていたのが嘘のような日々。
無機質なキーボードに不満を持つこともなく、黙々と文字を打っていた。
そんな私が「しめじ」と出会ったのはどれぐらい前のことか。
リリース当初からインストールはしていたものの、本格的に使い始めたのはつい最近のこと。
好みの画像を背景に設定出来るのは有難いが、肝心の文字が読みにくく、積極的に使う気になれなかったのだ。
ところが、どうだろう?
今は適度に背景をぼかすことが可能で、心配していたキーボードもきちんと確認出来る。
しかも、予測変換が優れているから、これは使わない手はない。
ということで、気の向くままに背景を変えている。
それは自分が撮影した写真の時もあれば、誰かが作成した画像を利用することもある。
今は「忍びの国」をモチーフにした画像が背景なのだが、その色合いが絶妙で、作成者に拍手を送りたい程。
本当に有難い。
いずれ自分でも公開可能な画像を作りたいものだが、パソコンを殆ど立ち上げない現状では難しいだろうな。
ま、適当に調整してもらえば済む話だけどね。

ヘボン式と訓令式

これまでローマ字表記を意識したことはなかった。
表記が二種類あることは覚えていたが、両者の違いなど全く覚えていない。
どうやらごちゃ混ぜになっていたようだ。
 
一例をあげよう。
「しゃ しゅ しょ」を打ち込む際、私は「sya syu syo」と打つ。
ハンドルである「しゅうか」も「syuka」だ。
疑問に感じたことはない。
けれど、多くの人は違うらしい。
いつものように「VS嵐」を見ていたら、ローマ字表記の話が出てきたのだ。
その時、櫻井君が言った言葉を私は忘れない。
ファンクラブの会員証に記された名前が間違っていると言うのだ。
彼曰く、「しょう」は「sho」と表記するのが正しいとのこと。
ところが、私に言わせれば「しょう」は「syo」なのだ。
決して間違いではない筈。
でも、何故表記が違うと言われてしまうのか。
疑問に感じた私はGoogleで検索してみた。
その結果、ローマ字表記にはヘボン式訓令式があり、私が学んできたのはどうやら訓令式であったこと。
一方、パスポート表記はヘボン式でなければいけないことがわかった。
それ故、櫻井君の名前は「sho」でなければいけないし、だからと言って「syo」が間違いであるとは断言出来ない。
現に「翔」と変換する時は「syo」と打ち込んでいる。
そうした背景を知った上で「表記が違う」と言うなら、きっとそれが正しい。