雑感。

信仰心など欠片もない私であるが、未だにアンクを毛嫌いするし、フリーメーソンに対しては正直良い印象がない。
その実態について何一つ知らない状態でありながら、だ。
理由はわかっている。
生憎論拠を指し示すことは出来ないものの、20代後半に目を通した書物の子とはうっすら覚えている。
それらは何れもキリスト教に関するもので、特に聖母マリアに関する記述が多かったように記憶している。
書物の所有者は似非クリスチャン(信仰心はあったものの、洗礼を受けていないので)で、当初は信憑性に乏しい内容と切り捨てていたそうな。
ところが、口絵に添えられた一枚の写真を見た時、あながち間違いではなさそうだと思い直したという。
それは「血を流す聖母マリア像」であり、少なくとも書物が発刊された当時は科学的な裏付けを取ることが出来なかったと聞いている。
これは何らかのメッセージに相違ない、と信仰心の篤い人が考えるのは当然のことだろう。
御多分に漏れず、その人もまた、その書物に書かれている全てを無条件に受け容れていたようだ。
その流れで、私は幾つかの書物に目を通すことになった。
「血を流す聖母マリア像」について言及した書物はいうまでもなく、他には「ファティマ第三の預言」について記されたもの、そして「人類の滅亡」について警告したものを読んだ記憶がある。
当時の私は無条件にこれらの記述を受け容れた為、悪魔の象徴としてアンク十字を捉えていたし、フリーメイソンに対しても同様の印象を抱いてしまった。
今なら信憑性の乏しい情報として適当に流せるだろうが、それでも一度刻み込まれた偏見を拭い去るのは容易ではない。
第一、そうした偏見を持っていること自体を忘れていたのだから。
これらの遠い記憶を呼び覚ましたのは、ダン=ブラウンの一連の作品。
「天使と悪魔」を読む過程でアンクに対する印象が変わり、今回「ロスト・シンボル」を読み進めるうちにフリーメイソンに対する関心が増していることに気付く。
僅かな情報だけで物事を決めつけ、結果的には偏見へとつながる現実。
そうした現実を打ち砕くように、「決してそうではないよ」といったニュアンスの記述が目立つのは気のせいだろうか。
何れにせよ、若き頃に似非クリスチャンから植え付けられた呪縛は今漸く解けようとしている。
いや、あの頃の記憶があったからこそ、これらの作品が輝いてみえるのかもしれない。