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騙される側の心理

以前から不思議に思っていたことがある。

神様を信じた所で必ずしも救われないのに、何故人々は神様の存在を信じることが出来るのだろうか、と。

時には異教徒を迫害し、時には神の名の元に殺戮を繰り返す宗教。

それでも疑うことなく、その教えの全てを受け容れられるのは何故なのだろうか、と。

信仰心の欠片もない私にとって、それは一種の洗脳にさえ思える。

特に新興宗教を信じる人の多くは何処か視野が狭くて、出来れば関わりたくないといった印象を抱くことが多い。

隙あらば仲間に引き込もうとする魂胆が見え見えで、それ故彼らに対しては強い不信感がある。

勿論全ての人がそうではないことぐらいわかっているが、信仰心が強くなればなるほど相手に対する押し付けが強くなるのは気のせいだろうか。


話はがらりと変わるが、私が時折閲覧しているSNSに、某アイドルの成りすましが現れた。

彼は定期的に画像を投稿し、それらしき言葉を残していく。

今日は××の収録がある。

今日は××で挨拶をした。

今日は××の日だから、出没頻度は低下する、等々。

大半のユーザーは「どうせ偽者でしょ」と言わんばかりに相手にしていないようだが、中には本気で信じる人もいるようで「忙しいのに、ありがとうございます」などとコメントしているから寒気がする。

というか、どうすれば簡単に信じることが出来るのだ?

そこで思い浮かんだのが、信仰を持つ人々の心理だ。

物心ついた頃からそういった環境に置かれていたならまだしも、大人になってから信仰心を持つようになった人々は何を切っ掛けとして宗教を受け容れたのか。

それは心の空洞を埋める為か。

生涯をかけても解明出来ない命題の答えを見出したからか。

はたまた心が弱っていた時にたまたま声をかけられただけか。

何れにせよ、信仰にのめり込むことには変わりがない訳で。

乱暴な言い方をするなら、必ずしもその教えが真実である必要はなく、自身にとって心地良い教えであれば無条件に受け容れてしまう嫌いがある。

であるならば、成りすますの言葉を真に受ける人々の多くは「自分が欲しい言葉を与えてくれる」からこそ本人であると信じることが出来るのだろう。

冷静に考えれば「こんなSNS」(まともな芸能人ならInstagramTwitterFacebookを選ぶと思われる)に出没する筈がないことぐらいわかりそうなものなのだが。



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